こんにちは、ほけきよです
理系の大学院まで行ったし、算数/数学を教えていたこともあるので、ちらっと、雑感を。 *1
掛け算順序問題
発端は茂木健一郎さんのツイート&ブログ
昨日、小学校の算数のテストで、「3.9+5.1=9.0」と書いたら、減点されたというツイートが流れてきて、とてもびっくりした。これははっきり言って一種の子どもに対する「虐待」である。これ以外にも、小学校の算数には謎の奇習があると聞く。 かけ算の順序、足し算の順序、という「問題」があって、2x3=6は正解だが、3x2=6は不正解、同じように2+3=5は正解だが、3+2=5は不正解、という「世界」があるのだという。詳細はアホらしいので書かないが、もし興味がある方は検索してみて欲しい。
ここから、色々と掛け算順序問題がある界隈では盛り上がってました。まあ私の観測範囲ではほとんど、「そんなキチガイは殺せ」くらいの勢いで否定してましたが。
実はかなりの歴史がある論争のようです。
言わんとすることはわかる。けど。
教える立場からすると、言わんとすることはわかるんですよ。多分、数式に意味をもたせたいんでしょう。 高校時代、物理でよく言われてたのは、「現象から数式を作る作業は翻訳作業と一緒、だから一つ一つの演算に意味をもたせるべき」 これは本当にその通りだと思うし、この言葉のおかげで、物理というものを深く考えながら問題を解くことができるようになりました。
けど、けどですよ?例えば
- 4個のりんごを5人に配る → 4×5
- 5人に4個のりんごを配る → 5×4
で、どっちかが翻訳に失敗しています?? この程度の問題、正直日本語の組み替えでなんとでもなりますよね。
順序を制限するっていうのは、むしろこの翻訳作業の阻害になると思うんです。 何も考えずただ通過儀礼的に式を覚えさせるだけの作業は、一種の言語統制ですよ。
かくいう私も
ちょっと考えたんですが、この問題、割と小学生だけじゃないんですよ。 高校で数学を学んだ人なら、こういう数式みたことありません?
「せきぶん」ってやつですね。これが、
って書いてもいいって知っている人、実は多くないのではと思ったんです。 そして、これは推測ですが、書いてもいいって知らない人は、この記号たちが持つ意味がほとんどわからないんじゃないでしょうか。
これも言語統制の結果だと思うんです。ただ数式を変な記号で挟んだ謎の演算により、面積がもとまるよ。 程度のことしか教えないせいで、式の持つ本来の意味を知らないまま、「難しい」と終わって思考停止。もったいないです。
かくいう私も、始めの頃は積分のdxは必ず最後に一つつくおまじないだと思ってました。 でも、よく考えると、順序なんかどっちでもいいんですよ。マジで。
だって はただの「縦×横」の面積で、は「足すよ」ってだけですから。 図にするとこんな感じ。
こういう順序や型にこだわってしまうと、かえって思考の幅が狭くなり、本質を見失ってしまいます。
大事なのは型を覚えるより、型に理由をつけられるか
掛け算の順序が自分の思った通りと違うならば、その子に理由を聞いてみたほうがいいのでは?と思います。 個人的には、普通に思考停止して掛け算をする子よりも何か意思や理由を持っている可能性がありそうだなと思います。 (交換法則を満たすのでたとえ理由なんてなかったとしても、答えが○であることには全くもって変わりないですが。)
掛け算の順序がどうこうと強制するよりも、 なぜ引き算は交換不可能で、掛け算は交換可能なのか とか、そういうのを考えさせるような教育をしてほしいですね。
ただ自分の考えと違うから「否」とされ、勉強が嫌いになる子供が増えないで欲しいなと思います。
ではではっ!
*1:とはいえ雑魚なので高度な教育は受けておりません、ご指摘あれば勉強になりますのでよろしくお願いします。